インターネットが普及してから、
それまでとは比較にならないくらいの情報が得られる様になった。
しかし止めどなく流れてくる情報の中で、
正しい情報を取捨選択し自己を見失わない力が必要だと思う。
特に震災の時に流れたデマや、
間違った情報に惑わされる人を見て強く思った。
つい先日のブログにも書いた「自分の答えのつくりかた 」から学んだ考え方に批判的思考というものがある。
批判的思考(ひはんてきしこう、英: Critical thinking)は、特に欧米諸国で主流となっている物事や情報を批判的に解釈する思考パターンのこと。単にクリティカル・シンキングと呼ばれることも多い。対象物を見聞きしたままに受け取るのではなく、客観的なおかつ分析的に理解される必要がある。
「批判」という言葉は反対する、受け入れない、などのイメージから「否定」という言葉と同義で用いられるケースが少なからず存在するがここでいう批判とは情報を分析、吟味して取り入れることを指しており客観的把握をベースとした正確な理解が必要とされる。「否定」という言葉はその情報自体を拒絶するという意味合いが強くまた主観的要素を含んでおり「批判」という言葉の意味とは隔たりがある。
批判的思考 – Wikipedia
言葉的に勘違いされそうなのだが、
批判的思考=否定ではない。
むしろ逆に異なる意見さえも受け入れる。
例えば今問題になっている原子力発電所は必要か?
と言う問題を考えた場合。
今の福島原発の事故を考えると無くした方が良いと思う。
これが僕の第一の感想だが一度それは捨てる。
まず良い面と悪い面、両方を考えてみる。
それも裏付けのある正しい情報から。
今はインターネットのおかげで情報は豊富に手に入る。
でもここで、その情報は正しいのかもチェックする。
例えば大学の教授であっても不都合な情報は開示してないかも知れない。
データに基づいた発言であってもそのデータは妥当性に欠けるかも知れない。
反対派は悪い事しか言わないし、
推進派が良い事を良い事しか言わないのは当然考えられる事。
また、他に推進派の意見、反対派の意見にも偏り無く耳を傾ける。
そうして得られた情報から比較検討し、自分の答えを出す。
ただ、ここで出した答えが間違ってても良いと思ってる。(※)
例え開示されたデータを検証して正しいものと思えたとしても、
所詮素人なので判断が誤ってしまう事はある。
大事なポイントは、情報を鵜呑みにするのではなく、
客観性を持って自分で調べて検証して答えを出す事だと思う。
そしてそう言うスタンスであれば、
間違った場合も素直に受け入れ正す事もできるし、
自分と異なる意見でも耳を傾け自分の判断材料に取り込む事ができる。
そうやって一人一人がしっかりと情報を吟味することができれば、
そうそうデマや偏った意見に惑わされる人もいなくなるのでは無いかと思う。
海外では批判的思考を学校で学ぶところも多い。
情報化社会となった今、日本でも取り入れて欲しいものだ。
(※)補足だが、メディアや著名人、影響力のある人は判断を間違えてはいけない。
発言をする前に深く思慮する必要がある。
影響力を考えて発言に責任を持って欲しい。
まあ、僕の様な庶民に言われなくても分かってると思うけども。