映画に愛をこめて アメリカの夜

映画が好きだというのが全体を通して伝わってくる。
また映画のスクリーンの向こうの世界や人間模様が覗けて面白い。
華やかさと裏腹に映画一本仕上げるのって大変なんだなと思った。
特に監督。
映画監督を目指してる人はちょっと萎えちゃうんじゃないかなと(笑)
作品内の監督もトリュフォー自ら演じてる。
作品の監督同様にトリュフォー自身も
どんな困難も受け入れる懐の広い人物なのだろか。
映画作りを通して複数の人物が登場する群像劇であり、
どことなく三谷幸喜の作品に似た感じを受けた。
とても観やすい作品である。

ニュー・シネマ・パラダイス

学生の頃に観て以来、午前十時の映画祭での上映を機に再び鑑賞した。
名作としてよく聞く作品の一つだが、
昔はそこまでの面白さは感じられなかった。
でもあの頃より歳を取った今、この映画を観ると
当時は気付かなかった想いが幾つも浮かんできた。
大人になるほどこの映画の素晴らしさが分かってくるのだと思う。
映画館が舞台と言うだけで、
映画好きにはたまらない設定だ。
昔は映画はもっと大衆娯楽的であり
人々の生活の一部に根付いていたのだな。
映画館を通じてドラマの一つや二つあったのだろう。
今では味わえないそういう雰囲気も少し羨ましく思う。
※以下ネタバレあり
初めてこの作品を観た時は、
そういった映画館とトトとのような目線でしか観れなかった。
でも今の僕にはトトとアルフレードの関係を、
名傍役の様に映画が演出する。
そのように映った。
アルフレードはトトのよき友でありよき師であり父親でもあった。
彼の言動・行動はトトを想っての事であり、深い愛情に満ちていた。
トトが村を出て30年。
アルフレードの言いつけ通り、村の事は忘れそれなりに成功を収めてた。
そしてアルフレードの死をきっかけにトトは30年ぶりに村に帰ってくる。
そのタイミングで青春を過ごした映画館が取り壊される。
学生の頃に初恋の女性を撮ったフィルムを見返す。
そしてアルフレードから形見のフィルムを受け取る。
アルフレードの形見のフィルムには、カットしたキスシーンを繫ぎ合わせたものだった。
それは昔アルフレードが「代わりに預かっておく」と言ったトト少年に譲ったフィルムなのかも知れない。
違うかもしれないし、それは誰にも分からない。
ただ、いつ渡せるかも分からないのに
トトのためだけにアルフレードが再編集したのは間違いない。
これらの出来事は青年のトトに映画館やアルフレードとの日々を思い起こさせ、
またアルフレードの深い愛に気付かさせたのだろう。
そして青年のトトは仕事こそ上手く行ってるが、
村を出てから女性を愛することを止めてしまっていたようだ。
このキスシーンを繫ぎ合わせたフィルムもまたアルフレードからのメッセージなのかも知れない。
大事なことを見失っていないか?と、
死して尚トトに道を示そうとしてるのかなと感じた。
最後の映画を観て笑ったトトの表情が子供の頃の純粋な笑顔と同じだったのが印象的だった。

戦場にかける橋

※ネタバレあり
何とも複雑な気持ちになった映画だ。
捕虜としても軍人の意地を捨てず、
頑丈な橋の建設を目的とし軍隊を一つにまとめたニコルソン大佐は立派な人物だと思う。
部下はもちろんだが、日本軍の斉藤も少しずつ彼を信頼し始め
期日までに立派な橋が完成する。
その一部始終を観てきたものとすれば、
この橋は未来永劫残って欲しいものだと思う。
一方収容所を脱出したシアーズは、日本軍に有利となる橋を破壊しようと行動する。
彼の立場からすれば正義の行動だ。
この時点で最良の選択など存在しない。
橋が破壊されるか、シアーズ達の作戦は失敗し殺されるかだ。
皮肉にも橋の爆破スイッチを入れたのはニコルソン大佐だった。
これが戦争ってやつなんだと思う。
何も生まない、命も希望も奪うだけ。
虚しさだけがただ残る。

大脱走

※ネタバレあり
脱走ものの代表作と言っても過言ではないのではないだろうか。
まさに王道と言った感じ。
一人一人に役割があってキャラが立っている。
誰かが主役じゃなくて全員が主役だ。
実際はそんな状況じゃないのだろうが、
選りすぐりの精鋭を集めた部隊のようでワクワクしてしまう。
トンネルが予定より短くて、監視に見つからない様に脱出するシーンなんかは
ハラハラものだ。
でもどう考えてもこのペースじゃ全員脱出は無理でしょ、なんて思いながら観てた。
結局脱出に成功したものも全員捕まるか射殺され、
この脱出計画は失敗に終わる。
そこはフィクションの映画の様にはいかないところだ。
不幸にもそうやって命を落とした人達がいたと言う反面、
どんな境遇にも諦めず闘ってた男達がいたことを知っておきたい。