終末のフール


相変わらず伊坂幸太郎は群像劇を作るのが上手いと思う。
別のストーリでは主役の人物が他のストーリーではエキストラとして出てくる。
そういう場面は毎度心が踊ってしまう。
また、それぞれのキャラが立っているので、
そのエキストラとして出来て来た時もどんな事をしてるのか想像できてしまう。
さて、それぞれのストーリーなのだが、
話の設定は全部共通していて地球の滅亡を数年に控えた世界である。
地球の終わりを知った人類はパニックになるが、
それも一段落した時期。
だが、それも嵐の前の静けさで、
タイムリミットが目前に迫った時は再びパニックが訪れるだろうという状態。
そんな世界なので生き残ってる人達なのでどこか”死”に対して、
超越した考えや、変わった考えを持った人達が多い。
陽が強い程影が濃くなるように、
死が目前にある程生も濃くなるのだろうか。
死を前にして生のあり方を感じさせられた。
でもどれも重たいものではない。
この物語に出てくる人達は、
どこか肩の力が抜けていて真剣に生を見つめながらも前向きにあろうとしてる。
自分は生を大切にしてるか?
人生を楽しんでいるだろうか?
Yes。と胸を張って生きれるような人生を送りたい。

自分を変える魔法

何か自分が劇的に変われる魔法のようなものがあると信じて、
それが何なのかずっと探してた。
それが手に入れば自分が変われるんだと信じてた。
そして魔法を探して色んなことを試してきた。
でもどれも違った。
何かしらの変化はあった。
でも劇的な変化は見られなかった。
そもそも魔法のようなものは存在しないことに気づいた。
それに気付くのに大分時間がかかった。
けれども時間がかかったからこそ、
そんなものは無かったんだとハッキリ言える。
魔法なんてない。
だから自分で変えるしかないんだ。
その変化はとても小さい。
時には自分では変化が感じられず嫌になることもあった。
でも1年前、5年前、10年前の自分と比べれば、
今の自分は変わって来てる。
今言えることは人は確実に変われる。
変化は小さくとも変われるんだ。
もう”何か”に期待する事は止めよう。
地道に歩み続けようと思う。

スラムドック$ミリオネア

久しぶりにDVDを観た。
観たい作品は沢山あるけど、
ドラマが観たいと思ったのでスラムドック$ミリオネアを選んだ。
※以下ネタバレ含む
ヒューマンドラマだと思ってたのだが、
実際は違った。
これは壮大なラブストーリだ。
何故スラム育ちの彼が最後まで進んだのか?
当然最初の疑問はそこだ。
でも最初の回答を見た時にその理由が分かった。
問題の答えは彼の人生の中で強く記憶に刻まれた事柄ばかりだった。
そうなると彼の今まで人生で起こった事は必然なのか、
それともミリオネアに出演する事が必然だったのか。
もしかしたらシャマールがラティカを想い続けてたからこそ、
引き寄せた運命なのかも知れない。
「映画だから」と言ってしまうのは簡単だ。
でも実生活においてもこういう運命と感じてしまうような事はある。
それは言葉では説明できなし、起こそうと思って起きるものでもない。
彼は過酷な人生を歩んで来た。
もしラティカに会わなかったらどうなってたのだろう?
兄のようになってたかも知れない。
ただ、彼は想いを貫き信念を曲げなかったから、
運命をたぐり寄せることができたのかも知れない。
と言うかそう思いたい。
彼は人生を懸けて手に入れたかったものを手に入れた。
話はハッピーエンドで締めくくられる。
だけど実は失ったものも沢山あった。
この映画には残酷で理不尽な世界に
色あせない愛や希望が描かれている。