アリス・クリードの失踪

アリス・クリードの失踪
『アリス・クリードの失踪』公式サイト
あらすじ
ヴィックとダニーは富豪の娘アリス・クリードを誘拐すると
用意したアジトに連れ込み、手足をベッドに縛り付け監禁する。
身代金の要求額は200万ポンド。
ヴィックが周到に練り上げた計画は万事抜かりなくこのまま順調に進むかに思われたが…
感想
全体を通して一定の緊張感が保たれてて飽きることなく観れた。
終わってみれば登場人物が主要の三人だけと
低予算ながら綿密に世界観が作られてる。
低予算を狙ったのか、結果的に低予算になったのか分からないが、
たった数人の登場人物でもこれだけの映画が撮れるという好例。
※以下ネタバレ
とにかくダニーのダメっぷりが凄い。
彼が全ての元凶であり、
また彼がいなければこの誘拐は成功してたかも知れない。
「愛してるから誘拐した」とか撃たれても可笑しくないレベル。
まあ、彼がいたからこの映画が成り立つのだが…。
この映画では暴力シーンが殆どない。
簡単には暴力は使わない。
だがその境目は非常に薄い一枚の板で、
一歩間違えればすぐ破られる。
全員が精神的に極限の状態にある。
だからこそ銃を使ったシーンが非常に際立つ。
個人的にはダニーとヴィックの関係が少し微妙。
ゲイの恋愛だから感受移入できないためだからか?
そんなに深い絆なのと思ってしまった。
でもダニーの本命がヴィックでアリスを裏切る、
二重の騙しだったらまた面白かったのかもと思う。
ラストも結局アリスがギリギリで鍵に届かず助からないとか、
最悪の終わり方もありかなとダークな想いを馳せてしまった。

なぜレーシック難民は生まれるのか?

レーシック難民とは

レーシック手術を受けた後に、後遺症や何らかの目のトラブルに悩まされるが、眼科で満足な診療を受けることができずに困窮している人の総称。

レーシック難民とは – 新語時事用語辞典 Weblio辞書

レーシックを受けた後には高い確率で何らかの合併症や後遺症は起こる。
ただ、その殆どが軽度の「ハロ」や「グレア」、「ドライアイ」であり
時間と共に回復するか気にならなくなる程度まで落ち着く。

レーシックをやって良かったと言ってる方の中には、
軽度の合併症・後遺症は経験した方もいるだろう。
でも今は問題無くなったから「やって良かった」と言えるのだろう。

そういう人達からすれば、
レーシック難民の症状も「いずれ回復するだろう」と思うのかも知れない。

だがレーシック難民の場合はそうではない。

人によって症状は違うが、
軽度ではなく重度のドライアイ、
目の痛み、頭痛、眠れないなどの症状がある。
中には仕事ができなくなるなど日常生活に支障をきたす場合もある。
そしてそれが今なお続いてる。

手術した医院でアフターケアしてくれないの?

殆どのレーシックをやってる医院は手術後の保障を謳ってる。
であればそこで症状を回復する治療をしてもらえば良いのでは?と思うかも知れないが、
それができないから”難民”になるのである。

レーシック難民の人の症状は、
客観的な検査データに表れないタイプのトラブルが多い。
なのでどんなに苦しい症状を訴えても
医院側としては「データ上問題がない」として適切な治療をしてくれない。

だからレーシック難民の人は適切な治療をしてくれる他の医院を探すしかないのだ。
しかしレーシックの経験・知識があって適切な治療をしてくれる一般眼科を
探すのも難しいのが現状。
(そして当然違う医院を受けるので実費となる)

トラブルの大半は「過矯正」

必要以上の近視矯正をしてしまった「過矯正」を抱えるレーシック難民の人は多い。
目には調整機能がるため、実際には過矯正でも、
検査データ上では正視や軽い遠視と判断されてしまいやすい

過矯正は視力や屈折データに表れないため、見抜くには医師側にも経験が必要です。

ササッとわかる近視矯正手術「レーシック」で失敗しない本 より

結果、データ上問題無いので治療してもらえないと言うことになる。

しかし、これでは常に調整筋を酷使していることになり、目に多大な負担がかかる。
その結果として、近くが見え辛いなどの問題ばかりでなく、頭痛や吐き気あどの全身症状まで引き起こされる。
重度の症状になると、眠れなくなったり、鬱症状を引き起こすこともある。

そう言った苦しみを分かってくれないのもまた、
レーシック難民の人にとっては辛いことだと思う。

特に手術件数を増やしたい大手クリニックでは、
「視力1.5」を作り出すため画一的な治療を行っている場合がある。
しかし「視力1.5」は良い視力なのだろうか?
実際現代の日本では0.7〜1.0あれば日常生活に困らないと言われている。
逆にテレビやPC、読書を長時間する人にとっては1.5は目に負担が大きいと思う。

医者が言う1.5を鵜呑みにせずに自分に合った適正視力を考えることも、
レーシックのリスクを減らす為に必要なことだ。
これからレーシックを行う方はその辺りもしっかりと調べることを強く勧める。

レーシック難民に会ってきた

先日、知り合いのレーシック難民の方にお話を頂いて、
レーシック難民の方の集まりに出席してきた。
ちなみに自分も合併症持ち。
レーシックで合併症(角膜拡張症)になった私がレーシックについて書いてみる
自分以外のレーシック後遺症・合併症の方と会うのは初めてだったのだが、
一見するとみんな一般の方と見分けがつかない。
よく見てると目が辛そうだな、と言うのは感じるのだけど、
端から見たら健康な人達の集まりにしか見えない。
そんな感じで他の難民の方も一般の人達に溶け込んでるんだろうなと思った。
それがまたレーシック難民が周りに気付かれない一つの理由なのかも。
そこに集まった人はみんな精神的に強いと思う。
自分が合併症と自覚した時は、
その事実を受け入れるのに精一杯で何か行動を起こそうなどと思えなかった。
そしてみんなが共通して思ってる事は、
「これ以上レーシックの合併症・後遺症で苦しむ人を増やしたくない」
と言う事。
自分達がその状況にいるから、その辛さがよく分かる。
自分達が何かアクションを起こす事でそれをなくしていきたいと思ってる。
レーシックで成功する人の方が大多数で、
レーシック難民は少数派だ。
でも「少数派だから」で片付けられる程小さな問題ではない。
目の問題は一生の問題であり、
現実に日常生活に支障を来してる人もいるのだ。
その事実を世間に知ってもらって、
対策・改善をしていかないと
今のままでは一定数の割合で同じ様に苦しむ人達が生まれてしまう。
そして合併症・後遺症になった時に、
それの治療法が確立されてないことがまた危険なのだ。
銀座眼科の集団感染症のような事件性が高くないと、
なかなかメディアも世間も注目してくれない。
爆発的にこの事実を拡散するのは難しい事ではあるが、
自分達にできる方法で少しずつでも広げていきたい。
レーシック難民の方の中には、
適切な対応をしてもらえれば後遺症が改善するであろう人もいる。
例えば過矯正の再手術。
でも結局医師の方がなかなかそれを行ってくれないようだ。
保身のためか、技術力がないためか分からないが。
で、あればそうならないために最初の目標値について
もっと検討しないといけないのではないかと思う。
いずれにせよ、
良くなる可能性がある方には一日も早く
適切な治療が受けられるようになって欲しいと思う。
現在、レーシックの合併症や後遺症で悩んでる方は、
下記の様な活動があります。
参考になれば幸いです。
レーシック難民オフ会について~近視手術の後遺症対策研究会

シベールの日曜日

大人の男性と少女の純粋な恋。
こう書くと危険な匂いがするが全くの正反対。
純粋で残酷な映画。
それでもまた一度観たいと思う。
あとシベールがめちゃ可愛い。
※以下ネタバレあり
最初はピエールは少女の境遇に同情してるだけだと思った。
でもそれは同情ではなく愛情で、
もっと言ってしまえば最初に見た瞬間に一目惚れしてたのだと思う。
自分とほぼ同じ歳であるピエールが少女であるシベールに恋心を抱くのに、
最初はすごい違和感を覚えた。
彼が記憶喪失だと知ってても若干の嫌悪感があった。
でも多分それが普通の反応なのだろう。
見た目は大人なのだから”大人であるべき”と言う目で見てしまう。
事情を知ってる人ならまだしも、
知らない人からすればピエールは”大人”であるのだ。
だから二人の無邪気な恋愛を周りの大人はなかなか受け入れ難かったのだろう。
それが最後の悲劇に繋がった。
人は年を重ねれば成長するかのかと言うとそうではない。
経験を通して成長するのだ。
記憶を失ったピエールには経験が殆どない子どもと一緒なのだ。
そう考える様になってくると、
ピエールとシベールのやり取りがとても微笑ましく見えた。
シベールがピエールよりお姉さんっぽいのも、
記憶をなくしてからのピエールよりシベールの方が色々と経験してるからだろう。
マドレーヌは素晴らしい女性だ。
彼女も二人の事を理解しかけてた。
もう少し時間があればいい方向に行けたかも知れない。
彼女もまた被害者だ…
シベールの最後の台詞、
「私にはもう名前はないの。誰でもないの。」
彼女の中では父親もお婆ちゃんも存在せず、
本当の名前を知る唯一の人物はピエールだけであった。
そのピエールが死んでしまった事で、
“シベール”と言う女の子もまた存在しなくなってしまったのだ。
悲劇以外の何ものでもない。
二人があまりにも純粋であり映像もまた純真であったので、
余計に最後の悲しみが突き刺さった。

エデンの東

※ネタバレあり

「愛」ってのはいつの時代も不変のテーマなのだな。
本作には親子と男女の二つの愛が描かれてるが、
主は親子の愛。
人の育つ環境がその人の人格に与える影響は多大で、
両親の愛を受けずに育ったキャルは誰からの愛も拒絶してた。
しかしそれは本心ではなく、
ホントは愛されたいと願っていた事が話を追ってくと見えてくる。
母親を悪い人と思い自分も母親に似て悪い人だと思ったのは、
そうする事で「自分は悪い人間だから愛される価値など無い」という
言い訳が欲しかったからではないだろうか?
父親の資金を取り返すために買った大豆畑で、
大豆の成長を心待ちにする無邪気なキャルが本当の姿なのだろう。
だからこそ父親がキャルからのお金を拒否した時は本当に心が痛んだ。
父親の性格上そうすることは予想できてた。
予想はできてたが、それでもショックだ。
自分から愛される事を避けて愛されなかったのならまだ良い。
しかし今回のキャルは愛を欲したのにそれを拒絶された。
聖書を語る父親が何故そこに気付かないのか?
愛を語るものが持たなくて語らないものが持っている。
皮肉である。
一度は完全に分断されたが、
父親の死を目前にしてお互いを分かり合う事はできた。
これからキャルが生きていく上で
それがあったか無かったかの差は大きい。
意地でもその機会を作ろうとしたアブラに大感謝である。
しかしながら失ったものは大きい。
もう少し早く分かち合えてればと思うが、
誰も傷付かずに済んだのかも知れない。
そう思えるから、現実の世界の自分達は
同じ過ちを犯さない様にしようと思う。
キャルの様に愛情表現の下手な子どもは多いと思う。
表面ではなく内面を見れる様にしたい。
最後に一点。
兄貴のアロンはどうなったのだろう…
理想砕かれ彼女奪われ精神崩壊して。
哀れ過ぎる。