黄昏

※ネタバレあり

頑固で素直に自分の気持を表せない父親と、そんな父親に愛されてないのじゃないかと思い距離をとり続けた娘。
親子の確執は映画の普遍のテーマのひとつだろう。

ストーリー的にはよくある確執のある親子があるきっかけを境に打ち解ける、という内容。
この作品のそのきっかけはビリーだった。
ビリーも問題児だったが、ノーマンと過ごしてるうちに徐々に仲良くなっていく。
でもノーマンは相変わらず口が悪かったり、ビリーもそれに対してキレたり、ちょいちょい喧嘩するけど何だかんだで距離が縮まったのは似たもの同士なのだろう。

少しずつ距離が縮まったノーマンとビリーに対し、ノーマンとチェルシーの仲直りは少し急ぎすぎた感はあるが、まあそこは気にしないようにしよう。

しかしこの作品で一番魅力的に見えたのはエセルである。
頑固者のノーマンのよき理解者で、彼女がいなければノーマンとビリー、チェルシーの関係もよくはならなかっただろう。
とにかくポジティブで、芯が通ってる。
夫を信頼し深く愛してる。

素晴らしい女性だなと。
生涯を遂げるならこのような女性と一緒になりたいと思う。

なので婚活をせねばならない。

突然炎のごとく

※ネタバレあり

冒頭は退屈な映画だと思った。

二人の男性と一人の女性の三角関係はとても誠実なもので、やがて一組の夫婦とその友人の形となる。
しかし、徐々にだがその関係は異常なものに変わっていく。

自由に複数の男と恋をするカトリーヌ。
彼女が側にいるだけで十分だと彼女の自由に他の男との恋愛を許すジュール。
友情と愛の間で揺れるも最後は愛に屈するジム。

そして始まる奇妙な三人(+幼女)の共同生活。

一般的には理解できない状況であるが、それも一つの愛の形なのだろう。
他者から見れば異常と思えることも、愛に溺れてしまうとその判断はできなくなる。
愛は盲目とはよく言ったものだ。

一見すると自由に恋愛をするカトリーヌが悪女と思えるが、それを許してしまうジュールもまた罪なのだろう。
愛とは素晴らしいものでありまた恐ろしいものである。

本来ならばもっと鬱蒼とした雰囲気になりそうな作品だが、それを感じさせず軽快な中にそれぞれの愛が描かれてる。
それがこの作品の魅力の一つでもある。

ともあれ僕はこのような展開にはなりたくないし、巻き込まれたくもないなと思う。

第三の男

※ネタバレあり

あらすじからはサスペンスを予想してたのだが、
これは人間の光と影を描いたドラマだなと。

友情を取るか、正義を取るか。
愛を取るか、正義を取るか。

この状況では誰でも葛藤するだろう。

どちらを選択したとしても気持ちは分かる。

人の明暗というのが、
このモノクロ映画の明暗と相まって美しい描写に仕上がってる。

そしてラストシーンは、秀逸。
これほど美しいラストシーンはそうそう観られないだろう。

NO

軍事政権の続いたチリで、政権の信任継続延長を問う国民投票が行われることとなった。
賛成派・反対派それぞれに1日15分のテレビ放送枠が与えられた。
広告プランナーのレナは反対派のCM作成に携わり、反対派が勝利できるように国民の心を動かそうとする。

ざっとあらすじはこんなとこ。
映画『NO』公式サイト

※以下ネタバレあり

僕自身近い業界にいるので興味深い内容だった。

この業界のクリエイティブな仕事は面白いと思ってるが、
その一方でメディアの力は世の中を動かすほどではないと考えていた。
ただ、この作品を観てその考えが変わった。

もちろん世論が動いた理由は一日15分の放送だけではない。
その背景にはそれまでの政治の不満や過去に犯した虐げれたり傷つけられた人達の怒りや不満もあったからだ。
でもそのような部分も含め行動を起こし立ち上がろうする後押しにこのCMは大きな力となった。

この時代の、この政治だったからこのような大きな効果にもなったと思う。
そこは逆に非常にリスクも伴い、ある意味ある意味命がけのキャンペーンだ。
なので魅力的でもある一方で逃げ出したくもなる仕事だ。
やり遂げるだけでも大変なことだと思う。

実際のところはわからないが、レナはプロフェッショナルだと感じた。
軍事政権を覆したいという気持ちよりもプロとしてこのキャンペーンを成功させるという気持ちの方が強い気がした。
同じ制作という立場に者としてそういう姿に憧れもする。
自分も同じように信念を貫いて、世の中とまでは行かなくとも少しでも誰かに影響を与えるものをつくりたい。

53 Pencilレビュー

53のPencilが届いてからしばらく使ってみたレビューです。
Pencilだけ、と言うよりはPencil+Paperの評価になります。

53 Pencilが海外発送に対応で日本購入可能にでも書いたようにPencilの海外発送が始まり日本からでも購入できるようになりました。
僕が注文した時は注文から10日ぐらいで届きました。

Pencil+Paperで描いた絵

sketch1

sketch2

sketch3

いい点

質感がいい

まず質感がいいです。
僕はWalnutを購入したのですが持ってて気持ちいです。
全然使い勝手には関係ないかもしれないですが、何度も使いたくなるという点でこれは大事なことだと思います。

消しゴムが便利

後ろ側が消しゴム機能となっているので、消したい時にツールの切り替えとか行わずにさっと消せるのが便利です。

手を置いたまま書ける

通常のアプリだと手を置いてしまうとその部分に反応してしまうのですが、Papaerは手を置いたまま描けます。
手も疲れないし、自然に描けるので助かります。

不満な点

感度を更に良くして欲しい

市販のスタイラスペンと比べると格段に感度はいいと書いたのですが、それでもストレスがないというほどではありません。
時々なぞっても描けない時があります。先日イベントで体験したAdobe Inkのほうが感度は良かった気がします。

筆圧に対応してない

筆圧に対応してないので線に強弱が付けれないのも残念な点です。

ペンを当てる角度で線幅も変わって欲しい

一見ペンを当てる角度によって線幅が変わりそうですが対応してません。
ただ、これに関してはiOS8から対応するようなので期待したいです。

誤反応で”にじみ”が発生することがある

指でなぞると”ぼかし”の効果を付けれるのですが、時々Pencilで描いた部分や手を置いた部分が”ぼかし”になることがあります。

Paperの筆のサイズも選びたい

Paperの筆やペンなどのツールはひとつの太さしかありません。
細い線、太い線を使い分けたい時がありますが現時点では対応してません。

総評

期待値が高かっただけに、残念な点が目についてしまうのですが、それでも全体的な評価としては買ってよかったと思います。
全体的な評価としては10点満点中7点でしょうか。

不満点も幾つかあるのですが、UIや筆や彩色の質感の高さは絵を描くのが楽しくなります。
“何度も使いたくなる”というのはそれが素晴らしいプロダクトだということを表してると思います。
今後のバージョンアップでさらに使い勝手がよくなることを期待してます。

Pencil | FiftyThree

マダム・イン・ニューヨーク

※ネタバレあり

「その気持わかるわ」と心のなかで思うシーンが幾つもあった。
一人異国に行って心細くなって家族に電話してしまうことや、少しずつ英語を話せるようになってく喜び、国の違う人同士が同じ目標に向かって一緒に頑張る気持ち、などなど。
そういう経験が自分にもあるのですごく感情移入できた。

全体を通して感じたのは女性、特に母親視点だということ。
自分は女性でもなければ結婚もしてないので正確には分からないが、同じように母親という枠に押さえつけられ自分の人生を謳歌できてない人は多いのではと思う。
「母親なんだから」ということで全てを家族に捧げ、それでいてそれが当然のように扱われ、それ以外の能力を否定され続けたらそれは自分の価値も揺らいでしまうものだろう。

だから、そこからシャシが少しずつ自分の価値に気付き踏み出そうとしてく行動は自然と応援したくなる。
ただなかなか思うどおりに行かないこともあるのだけど。
そこがまたこの映画に深みを出してるところだと思う。

最後のスピーチは自分にそして家族にも向けての言葉でもあった。
個人的にはシャシを「菓子作り以外に才能のない母親」という枠に閉じ込めようとする旦那に腹が立ちもしたが、それも受け止めた上で家族が大切だと言っている。
自分に自信がない時は相手と衝突してしまうが、自分に自信が持てればもっと大きな心で受け止めて愛せると言うことか。
NY滞在で自分の価値を再認識できたシャシは今後より家族で幸せになっていくだろうと思う。

結果的にとてもいい形でまとまったと思う。
女性は一歩踏みだす勇気を、男性は助成に対する見方が変わるのではないだろうか。

53 Pencilが海外発送に対応で日本購入可能に

前々から使いたいと思ってた53のPencilが海外発送に対応し、日本でも購入できるようになりました。

Pencil___FiftyThree

サイトトップのBuy Nowの横「Also at Amazon.com」のリンク先、Amazon.comから購入できます。
海外発送料は今のところ無料っぽいです。
僕は「わたしの国にも発送して欲しい」というリクエストをしていたので、発送が始まった連絡とともに$15のクーポンもいただきました。

近々届く予定なので届いたらレビューも書いてみます。

10年後のビジョンを描けるか

よく自己啓発なんかの本では、10年後の自分の姿を具体的に想像してその状態を文章などにして何度も見返せるようにしたり、その時に手に入れておきたいものの写真などをスクラップして毎日見えるところに貼っておく、など書かれている。
要は潜在意識に目標を刷り込んで、そこに向かって適切な選択をできるようにするためだと思う。

だけど、自分にこの方法は向かない。
なぜなら10年後のビジョンを明確に描けることができないからだ。
10年後どころか5年後もよく見えない。

遠い将来どうなっていたいか、そういうビジョンを僕は持っていない。

今はWebデザイナーという職種が天職だと思ってるが、この仕事だって自分が幼い頃はなかった職業だ。
その時代に将来Webというものが存在するなんて想像もつかなかった。

今の変化が激しい世の中で10年後どうなっているのかを想像するのは容易でない。
想像もつかないような変化が訪れる可能性も十分にある。

そんな時代だから僕は遠い未来ではなくてもっと近い未来、2年、3年後を見ている。
その近い未来に自分が成しておきたいことに向けてどのような行動・選択をすれば良いか、それを指針としている。

ちなみに10年後のビジョンを描けないと言ったが、こんな方向に進みたい、といったモヤッとしたものはある。
それは指針のようなもので、今は北か南かくらいの非常に大雑把なものではあるが、その方向に向かう限りは自分の気持ちに従って動けてるのだと思う。

夢の達成の方法、成功の方法なんて一様ではないと思う。
周りや誰かの言葉にとらわれず自分の生きたいように生きること、自分の心に素直に生きることを大切にしたい。

アクト・オブ・キリング

※ネタバレあり

とにかく全てが衝撃的だった。

これが本当に今の時代の映像なのだろうか。
登場する人物の考え方だけでなく、社会全体の常識や考え方が異常に思えた。

人を殺したことを武勇伝のように話す人たち。
殺人者を咎めることなく受け入れる社会。

「殺す」という言葉がリアルであり、
それがテレビのインタビューでも普通に取り交わされてる。
どこの世界の話だ、これ。

彼らにとって「人を殺す」こととはどういうことなのだろう。
僕の中の「人を殺す」の重みとは全く違う。
彼らにとって人を殺すのは、虫を殺すのと同位かも知れない。
どうやって殺したか、だの嬉々として語ることからそう感じてしまう。

宗教戦争なんかでは、
お互いが自分達が正しいと思っていて、それが交わることができずに争いが起こる。
ただ、それぞれには信じる宗教があり自分は正しいという信念の上で行動している。
これは何となく気持ちは理解できる気がする。

でもこの映画に登場する人物にはどうにもその信念が感じられる人が少ない。
自分の私欲とか快楽のために殺人を犯した人が多いような気がしてならない。

狂気ですわ。

しかもみんな一見、いい人そうに見える。
でもきっとどこか頭のネジが外れちゃってるのだろうな。

そんな中アンワルは自分の犯したことの重さに気づき始めたっぽい。
彼が過去を思い出して吐き気をもよおすシーンは、
過去にホントに罪を犯した人でしか出せない表現だろう。
というか、人が過去の罪に向き合うとこんな感じになるのかと知った。

でもこの作品を通じて、ここまで過去に向き合ったのはアンワルだけだろう。
他の人物は距離をおいたまま。
おそらくそれがいいのだと自分達でも感じてるかもしれない。

とは言え、それ以外の殺人者たちが全員過去の罪に向き合うことはないのだろうと思う。
そして強者として弱者から搾取して悠々自適な生活を送ってくのだ。

この作品が捉えたのは大量虐殺の事件のごくごく一部でしか無いと思う。
きっとこの問題はもっと根が深くまだまだ長く尾を引きそうだ。

チョコレートドーナツ

映画「チョコレートドーナツ」を観てきた。

ゲイのカップルとダウン症の子ども。
考えられない組み合わせだけど彼らがすごく幸せそうに見えた。
家族のような同じ時間を共有する関係では、いかに愛情が大事なのかを感じさせられた。

ルディは特にマルコに自分が重なる部分があったんじゃないだろうか。

望んで麻薬常習者の子どもに生まれたのではない。
望んで他の子より知能が劣って生まれたのではない。

誰にでも幸せになる権利はある。

でもそれを得る力がない子どももいる。
その時は大人が手を差し伸べてあげることが必要だ。
だからマルコが二人と同居を始めてからはホントに良かったなと思った。

しかし関係は偏見と言う名のもとにぶち壊される。
彼らがゲイだからという理由で親には不適切とされる。

偏見はよくないという。
それは分かっていても、自分とは違う姿形、感性、性格、…には違う目で見てしまうことは少なからずある。
そういう考え方を全く変えるのはそう簡単なことではない。
まして世論を変えるのは途方も無い話だ。

それでも闘ってる人たちはいる。
自分のありのままの姿で生きていこうと決めた人たちはいる。

そう決心した人たちはホントに強く、
自分達は世間一般という壁がないと生きていけない臆病者なんじゃないかと思う。

自分はそういう人たちに向き合えるだろうか?

少なからずその人の本質を見ようとすることは心がけよう。
一人の人間として、見ること、聞くこと、知ること。
それだけでも自分の中に偏見は薄れるのではないだろうか。

そんなことを考えさせられた夜だった。

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