カテゴリー別アーカイブ: 映画

おみおくりの作法

※ネタバレあり

自分はこの作品に2つの軸を感じた。

1つは「孤独死」。
本当に天涯孤独の人もいれば、身寄りはいるのだけど誰にも葬儀に参列してくれない人もいた。

自分は死んだら灰になるだけだと思ってるので、葬儀なんてしてもらえなくても良いと思ってる。その金があれば生きてる人が使えと。
とは言え「死」と最後の時にあって、誰にも見送ってもらえないことはやはり悲しい。自分の人生は何だったのかと思う。
死んだらそう思うこともないのだけど、最後に誰かに手を合わせてもらえるような人生を送れてるだろうか。死の間際において後悔しないように今をしっかり生きなければと思った。

もう1つは「仕事」。
ジョンの仕事は上司を始め、殆どの人に理解してもらえない。
故人のために誠意を持って行動するのだけど、おせっかいと言われることも。
ジョンの仕事は意味がないと思う人もいるし、実際に死んだ人に意思はないのだからそれが良いかなんて分からない。
それでも真摯に自分の仕事をまっとうするジョンの姿は、社会で働くものとしては尊敬に値する。几帳面に丁寧に仕事をこなす姿はとても素敵だと思った。

そしてジョンの仕事は故人のためだけではなく、故人の生を尊重して生きた証を残すための仕事だと気付いた。すべての人には届かないかも知れないが、それが意味を持つ人も少なからずいる。

しかし、そんな多くの孤独死を見てるジョン自身が孤独であることが切ない。そしてそこに一条の光が刺した時にあの出来事だ。

確かにラストでジョンは今までの行いが報われたかもしれない。
でもそれは死後の世界でだ。
死んだものにそれは意味があるのか?
それは冒頭から常に問われてたことであり、自分としてはやはり生前にその報いを受けて欲しかったなと思う。
自分の目にはこのラストが少し残酷に写った。

ホビット 決戦のゆくえ

ロード・オブ・ザ・リングが好きな映画のひとつなので当然ホビットもマストな映画になるわけで。

ロード・オブ・ザ・リングの好きなところのひとつは綿密な世界観である。

原作を読むと分かるのだけど、その世界が実在したかのように作りこまれている。そしてそれを映画の世界にも反映されてるので観て数分で中つ国に旅立てる。

ホビットの原作は子供向けなのでどうしてもロード・オブ・ザ・リングと比べるとストーリーには物足りさはある。
映画に関してはあの内容からよくここまで膨らませたなというところもある。
原作を脚色することは好まない人も多いが個人的にはこのホビットもいい作品だと思ってる。

ロード・オブ・ザ・リングへとリンクしてる部分もありロード・オブ・ザ・リング最初からまた観たくなった。10時間以上の時間をいつ確保するかが問題だが…。

まあ、期待通りに面白かったのでまたDVDをセットで買うかも知れん。

 

 

黄昏

※ネタバレあり

頑固で素直に自分の気持を表せない父親と、そんな父親に愛されてないのじゃないかと思い距離をとり続けた娘。
親子の確執は映画の普遍のテーマのひとつだろう。

ストーリー的にはよくある確執のある親子があるきっかけを境に打ち解ける、という内容。
この作品のそのきっかけはビリーだった。
ビリーも問題児だったが、ノーマンと過ごしてるうちに徐々に仲良くなっていく。
でもノーマンは相変わらず口が悪かったり、ビリーもそれに対してキレたり、ちょいちょい喧嘩するけど何だかんだで距離が縮まったのは似たもの同士なのだろう。

少しずつ距離が縮まったノーマンとビリーに対し、ノーマンとチェルシーの仲直りは少し急ぎすぎた感はあるが、まあそこは気にしないようにしよう。

しかしこの作品で一番魅力的に見えたのはエセルである。
頑固者のノーマンのよき理解者で、彼女がいなければノーマンとビリー、チェルシーの関係もよくはならなかっただろう。
とにかくポジティブで、芯が通ってる。
夫を信頼し深く愛してる。

素晴らしい女性だなと。
生涯を遂げるならこのような女性と一緒になりたいと思う。

なので婚活をせねばならない。

突然炎のごとく

※ネタバレあり

冒頭は退屈な映画だと思った。

二人の男性と一人の女性の三角関係はとても誠実なもので、やがて一組の夫婦とその友人の形となる。
しかし、徐々にだがその関係は異常なものに変わっていく。

自由に複数の男と恋をするカトリーヌ。
彼女が側にいるだけで十分だと彼女の自由に他の男との恋愛を許すジュール。
友情と愛の間で揺れるも最後は愛に屈するジム。

そして始まる奇妙な三人(+幼女)の共同生活。

一般的には理解できない状況であるが、それも一つの愛の形なのだろう。
他者から見れば異常と思えることも、愛に溺れてしまうとその判断はできなくなる。
愛は盲目とはよく言ったものだ。

一見すると自由に恋愛をするカトリーヌが悪女と思えるが、それを許してしまうジュールもまた罪なのだろう。
愛とは素晴らしいものでありまた恐ろしいものである。

本来ならばもっと鬱蒼とした雰囲気になりそうな作品だが、それを感じさせず軽快な中にそれぞれの愛が描かれてる。
それがこの作品の魅力の一つでもある。

ともあれ僕はこのような展開にはなりたくないし、巻き込まれたくもないなと思う。

第三の男

※ネタバレあり

あらすじからはサスペンスを予想してたのだが、
これは人間の光と影を描いたドラマだなと。

友情を取るか、正義を取るか。
愛を取るか、正義を取るか。

この状況では誰でも葛藤するだろう。

どちらを選択したとしても気持ちは分かる。

人の明暗というのが、
このモノクロ映画の明暗と相まって美しい描写に仕上がってる。

そしてラストシーンは、秀逸。
これほど美しいラストシーンはそうそう観られないだろう。

NO

軍事政権の続いたチリで、政権の信任継続延長を問う国民投票が行われることとなった。
賛成派・反対派それぞれに1日15分のテレビ放送枠が与えられた。
広告プランナーのレナは反対派のCM作成に携わり、反対派が勝利できるように国民の心を動かそうとする。

ざっとあらすじはこんなとこ。
映画『NO』公式サイト

※以下ネタバレあり

僕自身近い業界にいるので興味深い内容だった。

この業界のクリエイティブな仕事は面白いと思ってるが、
その一方でメディアの力は世の中を動かすほどではないと考えていた。
ただ、この作品を観てその考えが変わった。

もちろん世論が動いた理由は一日15分の放送だけではない。
その背景にはそれまでの政治の不満や過去に犯した虐げれたり傷つけられた人達の怒りや不満もあったからだ。
でもそのような部分も含め行動を起こし立ち上がろうする後押しにこのCMは大きな力となった。

この時代の、この政治だったからこのような大きな効果にもなったと思う。
そこは逆に非常にリスクも伴い、ある意味ある意味命がけのキャンペーンだ。
なので魅力的でもある一方で逃げ出したくもなる仕事だ。
やり遂げるだけでも大変なことだと思う。

実際のところはわからないが、レナはプロフェッショナルだと感じた。
軍事政権を覆したいという気持ちよりもプロとしてこのキャンペーンを成功させるという気持ちの方が強い気がした。
同じ制作という立場に者としてそういう姿に憧れもする。
自分も同じように信念を貫いて、世の中とまでは行かなくとも少しでも誰かに影響を与えるものをつくりたい。

マダム・イン・ニューヨーク

※ネタバレあり

「その気持わかるわ」と心のなかで思うシーンが幾つもあった。
一人異国に行って心細くなって家族に電話してしまうことや、少しずつ英語を話せるようになってく喜び、国の違う人同士が同じ目標に向かって一緒に頑張る気持ち、などなど。
そういう経験が自分にもあるのですごく感情移入できた。

全体を通して感じたのは女性、特に母親視点だということ。
自分は女性でもなければ結婚もしてないので正確には分からないが、同じように母親という枠に押さえつけられ自分の人生を謳歌できてない人は多いのではと思う。
「母親なんだから」ということで全てを家族に捧げ、それでいてそれが当然のように扱われ、それ以外の能力を否定され続けたらそれは自分の価値も揺らいでしまうものだろう。

だから、そこからシャシが少しずつ自分の価値に気付き踏み出そうとしてく行動は自然と応援したくなる。
ただなかなか思うどおりに行かないこともあるのだけど。
そこがまたこの映画に深みを出してるところだと思う。

最後のスピーチは自分にそして家族にも向けての言葉でもあった。
個人的にはシャシを「菓子作り以外に才能のない母親」という枠に閉じ込めようとする旦那に腹が立ちもしたが、それも受け止めた上で家族が大切だと言っている。
自分に自信がない時は相手と衝突してしまうが、自分に自信が持てればもっと大きな心で受け止めて愛せると言うことか。
NY滞在で自分の価値を再認識できたシャシは今後より家族で幸せになっていくだろうと思う。

結果的にとてもいい形でまとまったと思う。
女性は一歩踏みだす勇気を、男性は助成に対する見方が変わるのではないだろうか。

アクト・オブ・キリング

※ネタバレあり

とにかく全てが衝撃的だった。

これが本当に今の時代の映像なのだろうか。
登場する人物の考え方だけでなく、社会全体の常識や考え方が異常に思えた。

人を殺したことを武勇伝のように話す人たち。
殺人者を咎めることなく受け入れる社会。

「殺す」という言葉がリアルであり、
それがテレビのインタビューでも普通に取り交わされてる。
どこの世界の話だ、これ。

彼らにとって「人を殺す」こととはどういうことなのだろう。
僕の中の「人を殺す」の重みとは全く違う。
彼らにとって人を殺すのは、虫を殺すのと同位かも知れない。
どうやって殺したか、だの嬉々として語ることからそう感じてしまう。

宗教戦争なんかでは、
お互いが自分達が正しいと思っていて、それが交わることができずに争いが起こる。
ただ、それぞれには信じる宗教があり自分は正しいという信念の上で行動している。
これは何となく気持ちは理解できる気がする。

でもこの映画に登場する人物にはどうにもその信念が感じられる人が少ない。
自分の私欲とか快楽のために殺人を犯した人が多いような気がしてならない。

狂気ですわ。

しかもみんな一見、いい人そうに見える。
でもきっとどこか頭のネジが外れちゃってるのだろうな。

そんな中アンワルは自分の犯したことの重さに気づき始めたっぽい。
彼が過去を思い出して吐き気をもよおすシーンは、
過去にホントに罪を犯した人でしか出せない表現だろう。
というか、人が過去の罪に向き合うとこんな感じになるのかと知った。

でもこの作品を通じて、ここまで過去に向き合ったのはアンワルだけだろう。
他の人物は距離をおいたまま。
おそらくそれがいいのだと自分達でも感じてるかもしれない。

とは言え、それ以外の殺人者たちが全員過去の罪に向き合うことはないのだろうと思う。
そして強者として弱者から搾取して悠々自適な生活を送ってくのだ。

この作品が捉えたのは大量虐殺の事件のごくごく一部でしか無いと思う。
きっとこの問題はもっと根が深くまだまだ長く尾を引きそうだ。

チョコレートドーナツ

映画「チョコレートドーナツ」を観てきた。

ゲイのカップルとダウン症の子ども。
考えられない組み合わせだけど彼らがすごく幸せそうに見えた。
家族のような同じ時間を共有する関係では、いかに愛情が大事なのかを感じさせられた。

ルディは特にマルコに自分が重なる部分があったんじゃないだろうか。

望んで麻薬常習者の子どもに生まれたのではない。
望んで他の子より知能が劣って生まれたのではない。

誰にでも幸せになる権利はある。

でもそれを得る力がない子どももいる。
その時は大人が手を差し伸べてあげることが必要だ。
だからマルコが二人と同居を始めてからはホントに良かったなと思った。

しかし関係は偏見と言う名のもとにぶち壊される。
彼らがゲイだからという理由で親には不適切とされる。

偏見はよくないという。
それは分かっていても、自分とは違う姿形、感性、性格、…には違う目で見てしまうことは少なからずある。
そういう考え方を全く変えるのはそう簡単なことではない。
まして世論を変えるのは途方も無い話だ。

それでも闘ってる人たちはいる。
自分のありのままの姿で生きていこうと決めた人たちはいる。

そう決心した人たちはホントに強く、
自分達は世間一般という壁がないと生きていけない臆病者なんじゃないかと思う。

自分はそういう人たちに向き合えるだろうか?

少なからずその人の本質を見ようとすることは心がけよう。
一人の人間として、見ること、聞くこと、知ること。
それだけでも自分の中に偏見は薄れるのではないだろうか。

そんなことを考えさせられた夜だった。

ファニーとアレクサンデル

5時間超の大作。
観るのを躊躇したけど、章で分かれてるので短い連続ドラマを観てる感じで、一度見始めれば一気に見れる。

ひとりひとりを細かく描写してそれ故に「エクダール家」というのを表現している。
群像劇なのだが、その中でもアレクサンデルにスポットが当てられる。でも彼にスポットを当てるのなら他の人物のエピソードをそこまで広げる必要あるのかなと。
どれも中途半端な描写な気がするのだけど、そこは敢えて観てるものへ想像の余地を残すためなのか…。

映像や音楽、美術、ところどころ挿入される文学的な話、それがこの作品に優雅さを与えてるのかもしれないが、ちょっと肌に合わなかった。
でもなんかハマるとそれが良くなりそうな、変な中毒性秘めてそう。

主教のキャラが一番印象強い。
特に聖人と呼ばれる人だからこそ、闇がより際立つのだろう。
冷徹な悪魔か。
善と悪、生と死、静と動。
そういう陰と陽全てが含まれた作品。

あとファニーが可愛かった。

ファニーとアレクサンデル 《IVC 25th ベストバリューコレクション》 DVD